柴崎 嘉寿隆ブログ「自分セラピー」

バーチャルとリアル、、、と、もう一つの現実。

バーチャルリアリティ、という言葉をよく耳にする。

 

 

仮想化された現実。

 

 

五感に刺激を与えることによって、あたかもそれが現実であるかのような状態を創り出す。

 

 

ゲームや映像の世界でよく使われるている。

 

 

それに対して現実が「リアル」。

 

 

仮想の現実は、あくまでも仮想なのだけれど、その仮想世界の中で、イメージだけでなく実際に体を動かし体験していくときに、それは、現実とは言えないのだろうか?

 

 

先日、私は高層ビルのエレベーターに乗り、高層階で窓の外に伸びた板の上の猫を助け出しました。(本当です)

 

 

板は、両足をそろえた程度の幅。(本当のことです)

 

 

ビルから3メートルほど突き出した板はグラグラするし、ビル風は吹いているし、その板は途中で破壊されてなお細くなってしまう。(これも事実です)

 

 

私は、実際に、グラグラする板を歩いて、猫を抱え、破壊された細い板を恐る恐る戻り、ついにはビルに戻って、親猫に返してあげたのです。

 

夢の話ではありません。(本当にそうだったんです)

 

 

どうしてそんなことになったのか、、、、、話題の「VR ZONE」に行ってきたわけです。

 

 

これは、バーチャルリアリティなのだけれど、私は実際に歩き、揺らぎ、抱きかかえるという実体験をした。

 

 

この体験は、現実とは言えないのか?

 

 

確かな存在としての現実があり、バーチャルは、あくまでも仮想のはず。

 

 

でも、確かな存在、と言っても本当に確かなものなんてないのかもしれない。

 

 

哲学や深層心理の世界でこのことをとらえていくと、少々複雑になっていく。

 

 

アリストテレスの形而上学的な考え方も、プラトンのイデア論も、そして、わがユングの元型論も、この現実と言っている世界は、無意識世界の投影に過ぎない、という。

 

 

つまり実体はなく、すべてが幻想なのである、と。

 

 

訳が分からなくなりますよね。

 

 

古代ギリシャの頃から、確かな現実と言っているこの現実は、それを存在させている何か、の単なる投影なのだと。

 

 

つまり、そもそも今目の前にある現実はリアルではなく、バーチャルなのである、と。

 

 

目の前のテーブルも、あの人も、このパソコンも、そこにあるような気がするけど、その見えない何か、が投影されているだけ。

 

 

これって、考えれば考えるほどに????ですよね。

 

 

もし、プラトンや、ユングに、VR ZONE で体験をさせてみたら、いったいどんな、新たな学説が生まれるのだろうか。

 

 

 

これは、簡単に言うと「存在について」の古代からの研究。

 

 

自分という存在も、永遠の謎。

 

 

自分とはいったい誰か?

 

 

本当にここに存在しているのか?

 

 

私の30年来の、多くの人が知りたいテーマの一つである。

VRZONE

投稿者:柴崎 嘉寿隆

クエスト総合研究所代表取締役  JIPATTディレクター(Japan International Program of Art Therapy in Tokyo Director)、 NPO法人子ども未来研究所 理事長