今回コラムを書こうとしたときにある方のことがなぜかふと思い浮かびました。
その偶然は大切だと思い、
その方との出会いからもたらされたことについて記憶を辿っていきたいと思います。
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はたして真実は⁈
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「A様は耳が聞こえません」
これが初回参加時の施設からの申し送りでした。
施設の方はホワイトボードを介して話をしていました。
私たちもコミュニケーションがスムーズにとれるように
念のために小さなホワイトボードを用意しておきました。
しかしその出番は一度だけ。
使おうとすると、「いらない」というジェスチャーをされたのです。
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出会い
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少し振り返ります。
A様とはある高齢者施設で出会いました。
いつものようにアートセラピーの準備をして参加者の方々をお迎えしていると
遠くから叫び声のような大きな声が聞こえてきました。
その声の主は参加者ではありませんでした。
そばに行くと声がやみます。
ご挨拶をして戻るとまた叫ぶ。
そこでA様に意思確認をし、
施設に見学を提案して近くに座っていただくことにしました。
するとその日は穏やかに過ごされたのです。
この時私たちはまだ耳が聞こえないということは知りませんでした。
なぜならやり取りの中でそのような様子が全くみられなかったからです。
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そして、アートセラピー参加へ
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参加が決まってからは叫ぶことはありませんでした。
ある日こんなことがありました。
参加しているA様の様子をみた職員の方々が
「A様はあんな表情をされるんですね。先程までとは全然違う。」と。
何とも穏やかな表情、そして満面の笑みがみられると驚いていました。
またある時は、
目の前にある素材を手に取って感触を味わったり、「きれい!」と話したり。
「A様はこういうこともできるんですね。」と。
その楽しんでいる様子をみて、驚いている場面もありました。
思い出すことはたくさんあるのですが、
参加前は表情が硬くても徐々に表情が和らいでいく、
意欲的に表現をする、
最後は笑顔で帰るという姿が今でも思い浮かびます。
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何がA様をそうさせたのか?
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それは素材に触れること、
思いのままに表現すること、
夢中になること、
話をすること、
人と人との関わり、
様々な要素があると考えます。
その中で、私たちは「耳が聞こえないA様」として接してはいなかったということです。
最後までA様は耳が聞こえていたのかいなかったのか、真実はわかりません。
ただそのことを問題として捉えていたのではなく、
いつも「目の前にいるA様と共にいた」ということです。
それをあえていうなら、
人間性心理学における受容と共感的理解という態度で接していたということでしょうか。
それが私たちのまなざしであったということだと思います。
これは10年以上も前のことですが、
A様は安心安全な場づくりのことやセラピストの在り方について
身をもって伝えてくれていたのかもしれないと今改めて思っています。
文:吉川恭子
CiiAT Clinical Art Therapy Diploma取得アートセラピスト