Vol.5 ちゃんとしなくても、満足

こんにちは。井川です。

アートセラピーの現場をお伝えする、セラピストによるリレーコラム。

前回のコラムでは、アートの場で役割をおろした、
今の私の原点といえる時間について書きました。

 

いまも大切にしている問いがあります。

「本当にその人に寄り添うとは何か。」

 

そしてまた、あらためて支援者として現場に立つとき、
私は「ちゃんとしよう」とする自分に気づきます。

 

「ちゃんとしよう」とする自分

私にとっての「ちゃんと」とは、

その人が持っている力を発揮し、
一歩でも前に進めるように関わることでした。

専門職として、それは大切な姿勢。

けれど、その願いが強くなるほど、
私はいつのまにか

“今ここにいるその人”よりも、
達成や次の段階を見てしまう瞬間があることに気づきます。

それは、支援の現場だけではありませんでした。

かつての私もそう。
特性があるとわかった私の子どもたち。

その子らしさを大切にしたい。
個性を守り、伸ばしたい。
この子たちの力を信じたい・・

目の前のその子の思いよりも、私の願いが強くなったその瞬間、

私はその子の隣ではなく、少し先に立ってしまっていたのかもしれません。

 

アートが、あいだをやわらげる。

けれど、アートがそこにあるとき、
その距離がやわらぐ瞬間があります。

支援する人、される人。
教える人、教えられる人。

そうした役割がほどけ、
ただ同じ時間を過ごす人同士になる。

診断名も、目標も、評価もない。
あるのは、今この瞬間に素材を選び、
色を広げ、線を描いている一人の人。

 

私とその人。ただ、同じ時間を過ごす

福祉施設で出会った、ある利用者さん。

描くたびに、誰かと自分を比べてしまう方でした。

「みたとおりに描かないといけない」
「人に見せられるものでなくてはいけない」
「あの人の絵は素晴らしい」
「自分はまだまだだ」

それでも、家で絵を描くたびに、絵を見せてくれます。

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その方と初めて一緒に過ごした、アートの時間のことです。

始まる前に、
「アートの時間には正解もない、評価もない。」そんなことを伝えても、
「これで合っていますか」と何度も確認しています。

もしかしたら、自分が安心できる関わりを探していたのかもしれません。

やがて、両手で素材に触れはじめます。
しばらくすると、長い沈黙の時間が流れました。

けれど、その手は素材と静かに対話しているようでした。

クレヨンを手にして色を塗る。
隙間なく塗っていく。
気に入った素材を貼ってみる。

誰かと比べるための時間ではない。
自身の心の動きのままの時間が過ぎてゆきました。

 

ほんのわずか、表情がやわらいだ瞬間。
こうおっしゃいました。
「……ああ、これだけなのに、なんか、すごく満足。」

 

「満足」という一言

「満足」

私の胸の奥に何かが灯ったような感覚がありました。

人との関わりにはいろいろな形があります。
その人の変化を探したり、次の課題を考えたり、
もっとできる可能性を見ていくことが必要なこともあります。

けれど、その人は
“今この時間”に満ちていた。

そう。これでいい。

私は、どこかで知っていたはずのことを、
もう一度、確かめさせてもらったような気がしました。

満足とは、
誰かと比べなくてよかった時間、
正解を探さなくてよかった時間のことなのかもしれません。

 

対等でいられた時間

私はその場で特別なことをしたわけではありません。
助言も、解釈もしていない。

ただ、その人が素材と向き合う時間に、
一緒にいただけです。

けれどその時間には、

「ちゃんとしなければ」という私の力みも、
「正解を出さなければ」というその人の力みも、ない。

ただ共にいる時間。

支援する人と、支援される人。
教える人と、教えられる人。
いろいろな立場が、ほどけたような時間です。

もしかしたら、
対等でいられた空気そのものが、
その方の「満足」につながっていたのかもしれません。

そして同時に、
それは、私の中の「ちゃんと」も、ホッととほぐれる時間でした。

 

文:井川幸子(マスターアートワークセラピスト/キャリアコンサルタント/保育士)