桜が満開になった。
目黒川の桜は、例年よりも、と言うよりも
桜の開花日よりもだいぶ遅れて満開となった。
ソメイヨシノは、クローンだと言われている通りに、
川ぞいの木々全てが一斉に咲き始める。
あの桜の花を、スマホで撮影しても、
なかなか見た通りには撮影できない。
なんだか、白っぽくなって、
あの淡く優しいピンクは写真には
納まってくれないようだ。
でも、その反面、黒々とした幹は
はっきりと撮影できる。
桜のあの淡い美しさは、
多分にあの黒々とした幹のお陰が
あるような気がする。
もしも、幹がもっと明るく茶色だったとしたら、
なんともぼやっとした花になってしまう。
それが、実際はあの幹の色。
あの、どす黒いともいえるほどの幹が、
まるで黒子のような役割をし、
淡いピンクの花びらを際立たせている。
この影の深さを、つい人生になぞらえてしまう。
影があるから光かがやく。
光を存在させるためには、影はなくてはならないもの。
人生を輝かせるには、
その後ろ側に見えない苦労や深い傷跡がある。
だからこそ、輝くのだ。
輝いた人生を生きているとしたら、
それを輝かせている影がそこにある。
そして今、人生に苦しんでいるとしても、
どこかで何かを輝かせている。