しばさきニュースレター 2026年2月号

◆しばさきニュースレター 2026年2月号

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「百年の孤独」を読み終えて

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こんにちは。
先日、ずいぶん長い時間をかけて、ようやく
百年の孤独を読み終えました。

多くの著名な作家たちが、絶賛していたので読んでみたのですが、、、、
同じ名前を持つ人物が何世代にもわたって現れ、
時間が直線ではなく、渦を巻くように進んだり戻ったり。

正直なところ、読みながら何度も
「これは、いったい何の話なのだろう」とページを戻してしまうこともしばしば。
それでも、その時々に描かれる出来事の強度や、現実と幻想が入り混じり、非現実的な部分は、「これはファンタジーだったのか?」と、思わせるようなエピソードの面白さに引き込まれてしまいました。

気がつけば、物語の世界にどっぷりとはまってしまっていました。

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とても簡単なあらすじ

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舞台は、架空の村マコンド。
そこに生きるブエンディア一族の、
およそ百年にわたる歴史が描かれています。
誕生と死はもちろん、激しい愛と孤独や嫉妬、闘いの栄光と繁栄そして没落。
一族で同じ名前を持つ人々が、まるで運命をなぞるように、似たような生き方を繰り返していく。
マコンドで街を開き、立派な家を建て、その家を中心に展開する100年の物語。

その物語は、「過去が積み重なって現在ができていく」というよりも、
最初から何かが“すでに語られていた”かのような感触を残しながら進んでいきます。
そして読み終えたとき、私たちはふと立ち止まります。
――これは、
この一族の歴史を描いた物語だったのか。

それとも、

私たちが、すでに誰かに語られていた人生を生きているような、
“自分の物語そのもの”だったのか、と。

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「百年の孤独」というタイトルについて

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今回、私が強く引っかかったのは、
物語そのもの以上に、タイトルでした。
聞くところによると、原題は
「孤独の百年」と訳せるものだそうです。

「百年の孤独」と
「孤独の百年」。

日本語では似ているようで、
意味合いはずいぶん違って聞こえます。

前者は、
「百年間、孤独だった」という
状態の説明のようにも受け取れる。

後者は、
「誰もが持つ、孤独というものの永遠性」のようにも感じられます。

言葉が少し違うだけで、
私たちの受け取り方は、これほど変わるのだと、
あらためて考えさせられました。

 

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自分を縛っている「言葉」

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ここから、ふと自分自身のことを考えました。
私たちは、ときに
自分という存在を、
自分自身の言葉で
知らず知らずのうちに限定してしまっていることが
あるのかもしれません。

・「私はこういう人間だ」
・「昔から、これは苦手だ」
・「どうせ自分は……」

それらは事実のようでいて、
実は、過去の経験や誰かの評価から作られた
ひとつの物語にすぎないのかもしれません。

心理的な束縛は、外から与えられるものだけでなく、
自分自身の言葉によって生まれることもあります。

束縛から離れるために
だからこそ、自由になるために必要なのは、
「自分を変えること」よりも先に、
自分をよく知ることなのだと思います。

自分は、どんな言葉で自分を語っているのか。
その言葉は、いつ、どこで、どんな体験から生まれたのか。

それに気づくだけで、
長く続いていた物語に、
小さな余白が生まれます。

その余白こそが、
これからの選択を、
もう一度選び直すための空間なのかもしれません。

2月は、
冬の終わりと春の始まりが重なる季節。
固く見える土の奥で、芽生えの準備が始まる時期でもあります。

「あなたは、どんな物語を生きてきましたか?」
そんな問いを、自分に向けてみるのもいいかもしれません。

株式会社クエスト総合研究所
代表 柴﨑 嘉寿隆