「読者の皆さんは、「私は誰か」(Who am I ?)という質問を自分に対してした場合、すぐに答えられると思います。「私は心理学者である」とか、「私は教授である」とか。しかし、「『私』とは何か?」(What is ” I ” ?)という質問に答えられないのではないでしょうか。私がここにわざわざ ” ”で囲んで示している私、それは私という存在全体をしめしています。私の意識も無意識も、身体も、それに何か他の物あるかもしれませんが、ともかく、ここに立っている私の中に含まれているもののすべてを指しています。その「私」は普通に言う私の知らないことに満ちていると、言えます。」
出典)ユング心理学と仏教 河合隼雄著 岩波書店
子どもの頃から私は「白」が嫌いでした。なんとも簡単に他者と融合して存在を譲り渡ししてしまう感じがたまらなく苦手。
大人になり現実社会で苦手なものと出会ったときにその感覚や態度は多い生きにくさとしてに現れた。物ならばまだしもそれが人との関係となってあらわれた時、嫌いと言いながら完全に無視はできず、どこか気になる。しかし近寄らないけれど、こころの中はその事でいっぱいになったりする。そんな時心はひとつも穏やかではく。。
「なんでこんなに気になるんだろ? 私の何がそうさせているんだろう?」
アートセラピーと出会い、たくさんのアートをしていく中で少しずつ「白」にチャレンジをしていった。これを使うと自分はどんな気持ちになるんだろう? どこに違和感を覚えるのだろう。。絵具、オイルパステル、布、毛糸に紐に紙にといろいろな白を使えるようになっていった。少しずつ自分の中で起こる「苦手」への関わり方や見方そして感覚も変わり楽になっていった。
私の中でアートは自分を知る術の一助となった。
それは同時に他者を知ることにも繋がった。
今でも私の中には知らない自分はたくさんいる。
自分とはたいそうやっかいだが、
そのたびに私はアートをしながら心の旅をする。
(Staff Y)