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そっと支える手のそばで
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左手の細い指先できゅっと淡い色の紙を摘まみ、ゆっくりと腕を伸ばす。
糊のついた台紙に、ギュッと力を込めて紙を貼る。
一枚、また一枚と繰り返され、台紙は色に溢れた世界に変わった。
不自由な身体で懸命に貼るその姿の隣で、私は、彼女の腕の行く先が台紙に届くよう、そっと支えた。
アートの時間は、できる/できないを超えて、その人の「今ここ」に寄り添うケアの時間となっていく。
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ゆっくりと自分のペースで
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Aさんは、いつも膝の上に黄緑色の柔らかいクッションを載せている。
その上には、麻痺で動かない右手が静かに置かれてます。
年齢的な認知力の低下と左手だけで行う作業は、想像以上に時間がかかり、細かな操作は難しい。
それでもAさんは、いつもひとつひとつ、自分のペースで作品を仕上げていく。
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小さなサポートと、ことばにならない“対話”
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ワークの際、いつも私は彼女の左側に座る。
そして全体のワークをリードしつつ、Aさんのサポートにも自然と身体が向かう。
紙を押さえる手、糊の位置、紙の向きを少しだけ整えること。
そんな小さな関わりの中で、Aさんの表情や手の動きから伝わってくる“ことばにならない何か”を、想いを巡らせ私はいつも受け取ろうとしている。
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手が語る、ごきげん
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麻痺の影響か、Aさんは言葉を発することはほとんどない。
だけれどもとても今日はご機嫌だとわかるときがある。
それは「手」
紙を摘む指先に、少しだけ力がこもっているとき。
貼るときの動きが、いつもより軽やかに感じられるとき。
そして、私の頬を時折うれしそうに撫でるとき。
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手で話す、心のおしゃべり
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まあるい私の顔が面白いのか?それとも、手にした素材と同じように感じているのか?軽くポンポンと叩いたり、顎を触ってみたり、なんどもなんども。――そのたびに私は言葉を返し、Aさんの目を見つめ、されるがままに受けとめる。
まるでそれはAさんとおしゃべりしているようだといつも思う。
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アートセラピーが目指すこと
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高齢の方と過ごすアートセラピーの時間。
“アート”とつくと、つい作品を完成させることに意識が向きがちだけれど、私たちが目指しているのは、技術の向上ではない。
アートセラピーとは、言葉にならない思いや感情を、色や形を使ってそっと表現する心理的な支援方法。
「作品をつくること」そのものが、“できる/できない”を超えて、その人の「今ここ」が現れる大切なプロセスなのです。
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老いのなかで出会う“いのちのかけら”
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私たちは、誰しも必ず老いていきます。年を重ねる中で、できないことが少しずつ増えていくのは自然なことです。
ときには麻痺や病気などにより、今まで当たり前にできていたことが難しくなることもあるでしょう。
でも、「できないこと」が増えたからといって、その人の価値や、そこにある感情や表現までが失われるわけではありません。
むしろ、できないことのなかにも「その人らしさ」がふっと顔を出す瞬間がある――アートセラピーの時間は、そんな“いのちのかけら”と出会う時間でもあると私は思っています。
文:髙橋洋子(アートワークセラピスト/認定心理士)