誰にも、自分だけの世界がある。
あえて言うほどもないような些細なことから、恥ずかしくて人には言えないようなものまでいろいろと。
ボクは、雨上がりの水たまりが大好きで、本当は立ち止まってゆっくり眺めていたいくらいなのだけれども、道行く人たちの視線が気になってせいぜいゆっくり通り過ぎるくらい。
まわりにだーれもいないのを見計らって、じっくり眺めることもある。
水たまりの面白さは、こちら側の現実と、水面に映し出されているもう一つ向こう側の世界を行ったり来たり出来ること。
じっと眺めていると、そのもう一つの世界に行けそうな気がしてくる。
ナルニア国物語の 『 魔術師のおい 』 のディゴリー少年のように、池がもう一つの世界への通路だったら、、、、なんて妄想してしまうのです。
60過ぎた人間が大っぴらに話せるようなことではありません。
さて、 『 ぞうのホートン ひとだすけ 』 ドクター・スース
50年以上読みつがれてきたアメリカの作家の絵本です。
ぞうのホートンは、自分にしか聞こえない声を大切にします。
他の誰にも見えなくて聞こえない声を、誰にも信じてもらえなくても守ろうと奮闘するお話。
ある日、ホートンは水浴びをしているときに小さな小さな助けを求める声を聴きます。
それは目の前を飛んでいるほこりから聞こえます。
姿は見えないけれど、そのほこりの上に誰かがいる。
「 こまっているにちがいない。たすけてやらずば なるまいな。ぼくの目にみえない だれかいる 」
その声は、ほこりの上にある、なかよし村の村長の声。
そこには、みえない家があって、みえない乗り物があって、みえない村人たちがいて、みえない家族がいる。
ホートンはそのほこりを鼻で吸い取って、安全な場所に移すのですが、、、、
カンガルーも、さるも、おおわしも、おかしなことを言うホートンを仲間はずれにしようと
した挙句、そのほこりを奪い100キロ四方に広がったクローバーの大平原に、ぽいっ。
それでも、ホートンはあきらめずに探し続けて、最後はついに救い出す。
「なつのあつさも、あめふりも、ぼくが ちゃんと ふせいであげる。ぼくにみえない だれかいるから」
自分が信じる世界を、誰かに信じてもらえずに、そっと隠してしまうこともある。
でも、人にわかってもらえなくても、自分が信じて上げられればいいんですけどね。
梅雨に入って、ボクが大好きな水たまりがたくさんできますね。
水たまりに立ち止まっているボクを見かけても、いや、見知らぬおじさんを見かけたら、きっとかなたの世界に行っているのかもしれません。
誰かを助けている最中かもしれませんからね、あたたかな目で見守ってあげてください。