東日本大震災以降通行できなかった国道6号線は、2014年に全線開通しました。
福島県広野町の小学生を対象に毎年行われているシンガポールプロジェクトの
フローアップに伴い、私は遠藤町長のご招待で広野町にはいりました。
少し前の話ですが、9月24日のこと。
広野町とのご縁は、震災以降続いています。
町長は広野の子供たちのための長年のサポートに深く感謝されて、
先日はわざわざオフィスに訪ねてきてくれたほど。
町長からの「広野をぜひご案内したい」というお誘いに、恐縮しながらも
応じさせていただきました。
問題は山積みではあるけれど、着々と復興している広野町の様子を
目の当たりにしてきました。
しかし、町を出て国道6号線を北に向かって走ると、道路は開通しているものの
それはあくまでも国道だけであり、帰宅困難地域の大熊町、双葉町あたりは
左右への道はすべてゲートでふさがれており、通行証がなければ入れない。
おまけに、帰宅困難地域ですから、当然のごとく、工事関係者以外の住民は
誰一人見かけません。
人の気配がない町、、、、想像ができるでしょうか?
通過中に何か所かある電光掲示板には、空間線量の数値が表示されています。
大熊町や双葉町あたりで、2.9μ㏜。
現在の東京の数値は約0.03μ㏜。
これが現実です。
年間にさらされてもよい被ばく線量の数値は、諸説あるようですが、
「帰宅困難地域」という言葉は深刻です。
困難という言葉は可能性をにじませていますが、私の印象は
それでも、復興を始めている広野町の幼稚園では、ちょうど運動会が行われていて、
その活気に私は少々癒されました。
シンガポールプロジェクトでは、子どもたちだけでなく、保護者にもアートセラピーで
心のサポートを行います。
次回は11月。
地元でも、少しずつ「アートセラピー」が認知され、それを望む方々が増えて
生きています。
先日、カナダのアートセラピストであるルシールさんが、ビデオインタビューで語っている通り、私たちにできることはまだまだたくさんありそうです。