フォトアートセラピー(17期)

受講を終えた感想をご自由にお書きください。

K・Rさん(女性)
一言で言えば、私の世界が広がるワクワクする体験がありました。

写真を通して
・私が出していないと思っていても他者が気づいている私や、私が知っていて他者が知っている私の再認識
・私が知らないけれど、他者が知っている私の発見
・他者が知らない、私も気づいていない私との出会い
・年齢、職業は関係なく、写真を通して初めて出会った参加者の方がどのような見方、捉え方、感じ方かを知り
 その方のお人柄に触れる素晴らしい出会い
そして、他者が持っている新鮮な視点の学びがありました。

今まで私は写真を撮る時、メモ代わりに、かわいい、きれい、気になる対象があって撮っていましたが、
心が動いている瞬間なんだと意識していなかったことに気づきました。
まして、私らしさがそこに表されているとは驚きでした。

何が好きか、何を大切にしているのか言語化できてない気持ちが写真には現れていて、
そこから紐解いて自ら感じ、皆と分かち合える喜び、皆の暖かい言葉を頂けることは
掛け替えのないない経験でした。
回を重ねるごとに、私が私自身にフィットし、私自身の世界が広がる感覚を覚えました。

あわただしい毎日、ちゃんと振り返りをしないで先へ先へと歩み続けていましたが、
改めて写真に写し出されている私らしさ、心地よさやウキウキする瞬間、感覚を味わい、
大切にしたいと思いました。
I・Yさん(女性)
自分が好きなことは、なんとなく前から知っていると思っていましたが、体験を通して、より濃いカタチになった自分の「スキ」を目で見て感じることができました。
また、どれだけ人が見る世界と自分の見る世界が違うのか。大学で多様性を学んだ気になっていましたが、全く学べてなかったことを知りました。そばに居てくれる人も、必ずしも同じものは見ていない。だからこそ、人は1人の世界に閉じこもることはなく、常に他者が生み出す世界にいつのまにか足を突っ込んでいる。それが支えになっているのかなと、今は考えたりしています。
違うということの豊かさを、マッキーと、それから一緒に学んだフォトの皆さんが教えてくれました。偶然、この講座をネットで見つけて、気になる!とびこんでみよう!と思えた気持ちが、自分をここまで連れてきてくれたこと。そんな自分でいれたことにも感謝しています。

S・Mさん(男性)
純粋にプログラムを楽しみ、参加者の皆さんと写真を介して出会っていったこの4ヶ月間の体験は、自分を通して相手の世界を知り、相手を通して自分を新しく知っていく、まさにジャーニーとなりました。
写真に現れた自分や相手を感じ、そして受け取っていく体験は、道具の共通さ、シャッターを切る簡単さもあって、公平で優しく受け取れて、そのことに癒されました。
とても自由で気楽に表現できたと思います。
そのおかげか、まだ知らぬ自分の可能性が漏れ出てくるようでもあり、恥ずかしさと共に、今この瞬間を体験している喜びを味わうことが出来ました。
A・Nさん(女性)
すごく幸せな時間で、毎回帰り道で「あ~楽しかったな~。」と夢の中にいるようなふわふわとした足取りで歩いてました。
一緒に参加しているメンバーから、自分の写真に対して言ってもらえた言葉の数々がなんとも嬉しく、まるで自分をたくさん褒めてもらったような感じたからかもしれません。
あとは、自分が世界とどんな風に関わっているのか、どんな風に関わっていきたいのかが、明確になったと思います!
普段味わえない、芯からあふれる幸せの感覚。
素敵な時間をありがとうございました!
O・Mさん(女性)
私の話を否定せずに受け止めて、かつ自分で前向な答えを出せるよう導いて下さったマッキー、そして温かくも率直な意見を出して下さるメンバーに恵まれて、とても有意義な4か月を過ごすことができました。
毎回皆様に会うのがとても楽しみでした。
もともと写真を撮ることが好きでしたが、写真でここまで自己が表現されるとは、本当に驚きでした。
この講座に参加して、自分が考えている自分と他者から見られる自分が違うということを発見できましたし、自分で自分を決めつけてはいけないということも学びました。
「人それぞれ違って良い」ということを実体験として再認識しました。
再度フォトアートセラピー講座があれば、新しい自分に出会う為にも、是非また参加したいと考えています。その時の私は、今の私ではないはずですから。
自分を見つめ直すことができる貴重な体験、貴重な時間を本当に有難うございました。
I・Mさん(女性)
ブルーハーツのリンダリンダの歌詞で、
「ドブネズミみたいに美しくなりたい。写真にはうつらない美しさがあるから」
という一節に対して、どういう意味なのだろう・・・と昔思った記憶があるのですが、講座後はこの歌詞の意味が自分なりにわかったような気がします。

というのも、今までは写真を見るとき自分のセンスに囚われた造形美で良し悪し
を判断していました。
しかし、どんな写真にも個人の人生から培われた視点から生まれてきたものであるというふうな見方をすると、写真自体に良し悪しはなく、写っているものを深めれば深めるほど、愛おしさ、時折刺さるような痛みを感じる事ができました。
写真にはうつらない美しさというものはもしかしたら人生の瞬間なのかも。
そんなふうに解釈してみました。

講座自体はとても楽しい時間で、優しい気持ちになれる時間と空間でした。

時に評価を受ける写真。
映るものだけではない別の美しさを味わえる感性は今後自分の糧にもなり、見ることで判断するのではなく、見たことによって起きるいろんな感覚を大切にしていきたいと思いました。